女優・樫山文枝さんと俳優・綿引勝彦さん。
二人は46年間にわたる結婚生活を送り、互いに支え合いながら人生を歩んできました。
お2人にはどのような馴れ初めがあったのか?気になる方もいらっしゃると思います。
樫山文江さんと綿引勝彦さんの馴れ初めから、お子さんについて調べてきました!
今回は、『樫山文江と亡き夫・綿引勝彦との馴れ初め!子供についても詳しく解説!』と題して、お送りさせていただきます。
樫山文江の夫は綿引勝彦!
樫山文枝さんの夫は、
さんです。
将来の夢は『プロ野球選手』だった!
1945年の東京都生まれ、小学生の頃の夢は、
だったそう。
中学時代、野球の腕前はずば抜けて良かったそうです。
しかし、『日本大学鶴ケ丘高等学校』に進学した際に、野球部には多くのすごい選手がいて、
そうです。
友達に誘われ観た『舞台』で、演劇の世界へ!
綿引勝彦さんは、プロ野球の夢を諦めた後女友達に、舞台『令嬢ジュリー』に誘われ、
『新劇は凄い』
と感激しました。
そこから、演劇の世界を目指すことになったそうです。
演劇を目指すと決めた、綿引勝彦さんは高校卒業後に、
します。
しかし、1965年に日本大学藝術学部を中退し、
し、俳優の道をスタートさせました。
何がきっかけで、新たな人生が始まるかわかりませんね。
代役がきっかけで俳優デビュー
たくさんの有名俳優がいた、劇団民藝ではなかなか良い役がもらえない日々が続いており、大道具の準備が主な仕事だったそうです。
ある日、日生劇場で公演された『アンネの日記』で、アンネの部屋係に就いていた時、出演俳優の「下元勉」が倒れ、
されたことがきっかけで、舞台に出演することになりました!
その後は、様々な作品に出演されています。
綿引さんといえば、テレビドラマ『天までとどけ』の子だくさんパパや、
『鬼平犯科帳』の密偵・大滝の五郎蔵役でおなじみ。
硬派な役柄から優しい父親役まで、幅広い演技で視聴者を魅了した俳優さんです。
舞台稽古中に『大動脈瘤破裂』
舞台に稽古の最中に、
という危険な状態に陥りました。
しかし、綿引勝彦さんは自身の健康に自信があり、
『ビールを飲んで寝れば治る』
と、病院に行こうとしませんでした。
ですが、樫山文江さんの必死の説得で病院に行き、直ぐに6時間にも及ぶ大手術を受け一命をとりとめました。
樫山文江さんの説得で、綿引勝彦さんは命を救われんですね。
膵臓がん他界
大動脈瘤破裂という、病気を乗り越えましたが残念ながら、
2020年12月30日に膵臓がんで他界されました。
綿引勝彦さんは、闘病中も病気を隠して映画出演を続けていたそうです。
最後までプロフェッショナルな姿勢だったんですね。
樫山文江と綿引勝彦の馴れ初め!
樫山文江さんと綿引勝彦さんは、どのような馴れ初めがあったのか調べてきました。
舞台がきっかけで出会う
二人の出会いは
でした。
樫山文江さんが29歳、と綿引勝彦さんが25差の時です。
当時、樫山さんはすでに主役を務める女優さんで、綿引さんは劇団民藝の研究生として裏方を担当していました。
舞台「アンネの日記」に、綿引勝彦さんが代役で出演した際に、樫山文江さんが
「いい声してるわね」
と褒めてくれたとか。
最初は、キャリアや年齢(樫山さんが4歳年上)の差もあって、
親しくなるには時間がかかったみたいです。
でも、お互い中央線沿いに住んでいたことから、帰り道を一緒にするうちに距離が縮まったそうです。
お2人が一緒に歩くと、
と騒がれたこともあったとか。
プロポーズは冗談ぽく⁉
綿引勝彦さんのプロポーズは、とても印象的です。
綿引さんが
「樫山さん、僕と結婚してくれるといいんですがね」
と冗談ぽく言ったことが、樫山文枝さんが結婚を考えるきっかけになったんだそう!
そこから
1974年12月に結婚へと至りました。
静かな礼拝堂での結婚式、なんだか映画みたいですよね。
2人の間の格差
樫山文江さんと綿引勝彦さんの結婚は世間を騒がせました。
理由は、お2人が結婚した当時、
弾き語りのアルバイトをして、綿引勝彦さんは生計を立てており、樫山文江さんとは収入に雲泥の差があったのです。
異色のカップルとして世間を賑わせ、
夫婦共演のCMなどが多数企画されましたが、綿引勝彦さんは全て断ったそうです。
樫山文江さんとの共演で、自身を売り込むことはしたくなかったのかもしれませんね。
樫山文江に子供はいる?
結婚46年の綿引勝彦さんと樫山文江さんはには、お子さんはいらっしゃるのか調べてきました!
子だくさんの家庭⁉
結論から言うと、樫山文枝さんと綿引勝彦さんの間に
ですが、綿引勝彦さんはにはお子さんがいるというウワサが絶えません。
この話にはちょっとしたエピソードがあります。
綿引さんがドラマ『天までとどけ』で、8男5女の父親を演じたのがあまりにハマり役だったせいで、
なんて噂が広まったみたいです。
パートナーとして歩みたい
樫山文江さんは以前、
「子供はとりあえず欲しくない。」
と明かし、その理由は
「私たちは、演劇を続ける上でのパートナーでありたい」
と、語っていました。
演者として、お互いに吸収しあい、反発し合う、ライバルとして過ごしたいという気持ちがあったようです。
お子さんはいなくても、樫山さんと綿引さんは二人で静かな家庭を築いていました。
樫山文江の現在
2020年に綿引さんが他界された後、樫山さんは
それまで掃除や買い物を綿引さんが担当していたというエピソードは、仲の良い夫婦だったんだなと感じさせます。
「お互いに我慢しながらも寄り添ってきた」
と振り返る樫山さんの言葉には、深い愛情が感じられます。
今後も、樫山文江さんのご活躍が楽しみですね。
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