国民的スター同士の結婚はなぜ破綻したのか?
小林旭さんと美空ひばりさんの波乱万丈な結婚生活に迫ります。
雑誌の対談がきっかけとなった二人の出会いから、結婚、そして離婚に至るまでの軌跡をひも解き、二人の間に子供はいたのかなど、気になる疑問を調査しました。
今回は『【結婚歴】小林旭最初の妻・美空ひばりとの馴れ初め!結婚生活や子供についても!』と題してお送りいたしますのでご覧ください。
小林旭の結婚歴!
- 名前:小林 旭(こばやし あきら)
- 生年月日:1938年11月3日
- 年齢:86歳(2025年1月現在)
- 身長:180㎝
- 血液型:AB型
- 職業:俳優・歌手
- 出身地:東京都世田谷区
- 1回目の結婚相手:美空ひばり(歌手)
- 2回目の結婚相手:青山京子 (女優)
小林旭さんの最初の結婚は1962年、歌手・美空ひばりさんと行われました。
しかし、2年後の1964年に離婚。
この結婚は短期間であり、ひばりさんが結婚を考えていなかった時期に始まったため、様々な困難があったとされています。
その後、2回目の結婚は1967年、元女優の青山京子さんと結婚しました。
青山さんは結婚後に芸能界を引退し、小林さんを支え続けましたが、2020年に亡くなられています。
この記事では、最初の結婚相手である美空ひばりさんに焦点を当てていきたいと思います。
小林旭・最初の妻は美空ひばり!
- 名前:美空 ひばり(みそら ひばり)
- 本名:加藤 和枝(かとう かずえ)
- 生年月日:1937年5月29日
- 年齢:52歳没(1989年6月24日)
- 職業:歌手・女優・実業家
- 出身地:神奈川県横浜市
美空ひばりさんは、昭和を代表する国民的な歌手であり、その独特な声と表現力で多くの人々を魅了しました。
1937年に横浜で生まれ、戦後の復興期にデビューを果たすと瞬く間にスターとなり、日本の音楽シーンを牽引しました。
『川の流れのように』『愛燦燦』などの名曲は、世代を超えて愛され続けています。
また、ひばりさんの歌には人々の心に寄り添う温かさと強さがあり、多くの人々に希望を与えました。
1989年に惜しまれながらこの世を去りましたが、その音楽と生き様は今もなお、多くの人々の心に生き続けています。
馴れ初めは雑誌の対談!
小林旭さんとひばりの最初の出会いは、1950年頃にさかのぼります。
当時12歳だった小林さんが、NHKで放送劇の出演のために訪れた際、1歳年上のひばりさんを目撃。
その時、小林さんは、大勢の大人を引き連れて歩くひばりの姿を「大名行列のよう」だと感じ、強い印象を受けたそう。
それから10年ほど経った頃の1961年秋に、雑誌「明星」の企画でおふたりの対談がありました。
当時、小林さんは日活の人気スターであり、美空ひばりさんは国民的歌手として名を馳せていました。
対談の中で、
ところであなた、恋人はいるの?
いないよ
と小林さんが答えると、ひばりさんは、
じゃあ私と親しくしてよ
この瞬間から、二人の関係は始まったんですね。
積極的にアプローチをかけるひばりさんですが、当時では女性からすると珍しかったのではないでしょうか。
どこか、ひばりさんの純粋さを感じるエピソードですね。
その後、二人は急速に親密になり、ひばりさんは小林さんを「私のダーリン」と紹介するなど、周囲に公然と交際をアピールするほどに。
小林旭さんは雑誌の取材で次のように語っています。
「周りの人からも『お嬢がさみしがっていますよ』なんて言われて、ことあるごとに食事に誘われるようになった。付き合い始めの頃はすごかったよ。誰にも居場所を告げてないのに、どういうわけか行く先々に電話がかかって来る。真夜中に仕事の応援に来てほしいと言われたり、逆に俺が地方で撮影しているとわざわざおしるこを差し入れしてくれたりね。(小林旭)
引用:文春オンライン
ひばりさんが小林さんにぞっこんだったのがわかりますね。
その後、ひばりさんが小林さんに
好きなの、結婚しましょう
と言ったことから結婚へと進んで行くんですね。
特に、ひばりさんの父親代わりである田岡一雄氏(山〇組の三代目)が二人の関係に強く関与したといわれており、小林さんに結婚を促す役割を果たしたそうです。
田岡一雄氏は1957年に神戸芸能社を設立し、芸能プロモーターとして活動されており、美空ひばりの後見人となり、ひばりプロダクション副社長の地位も得ていました。
また、
「三人娘と呼ばれた江利チエミと雪村いづみが立て続けに結婚して残るは“お嬢”という状況だったから、ひばりのおふくろさんも婿さんを探すことにシャカリキになっていたんだ。」(小林旭)
引用:文春オンライン
ひばりさんの母親も結婚に前向きだったのが伺えます。
そして、
されました。
小林旭は結婚を考えていなかった⁉
婚約発表をされたおふたりですが、
といいます。
ですが、田岡氏が小林さんに対し、
「天下のひばりがあんたに惚れていると言うとんのや。男冥利に尽きるやないか」
と言い、結婚を強引に進めるように仕向けたとも言われています。
そしうて、ひばりさんの熱意もあり、結婚を決意されたという事です。
小林旭と美空ひばり結婚!
小林旭さんと美空ひばりさんは、
が行われました。
当時の日本の芸能界で最大級の華燭の典とされ、片岡千恵蔵さんや鶴田浩二さん、中村錦之助さんなど多くの著名人が出席。
また、「世紀の結婚式」と呼ばれ、芸能界の結婚で初めて新聞の号外が出るほどの注目を集めました。
結婚生活
1962年11月5日に結婚したおふたりですが、結婚生活はすぐに困難に直面しました。
ひばりさんは結婚後、仕事をセーブするようになりました。
「良き妻」を演じようと懸命に努力しましたが、彼女自身の歌に対する未練や、周囲の圧力が影響し、二人の関係は次第に悪化していったと言われています。
特に、ひばりさんの母親は彼女のキャリアを重視し、結婚生活を快く思っていなかったとされています。これにより、ひばりさんは仕事を再開し、結婚生活との両立が難しくなりました。
そして、ふたりは離婚へと進んで行きます。
小林旭と妻・美空ひばりとの離婚!
小林旭さんと美空ひばりさんは、1962年に結婚しましたが、わずか1年7ヶ月後の1964年に離婚を発表しました。
離婚の理由としては、主にふたりの生活スタイルや価値観の違いが挙げられます。
小林さんは、ひばりさんとの結婚生活が彼女にとって「解放されていないことになる」と感じ、彼女のキャリアを尊重する形で離婚を選択したと言われています。
また、田岡氏からは小林さんに対し、「おまえと一緒にいることが、ひばりにとって解放されていないことになるんだから、別れてやれや」と離婚を迫ったと言われています。
その後。おふたりは別々に記者会見を行っています。
小林旭の心境
小林旭さんは記者会見で次のように語っています。
本人同士が話し合わないで別れるのは心残りだが、和枝(ひばりの本名)が僕と結婚しているより、芸術と結婚したほうが幸せになれるのなら、と思って、理解離婚に踏み切った。未練はいっぱいある。皆さんの前で泣きたいくらいだ。
小林さんにとって、この離婚は納得いっていなかったようです。
ですが、ひばりさんは国民的スターであったことも小林さんはわかっているので、やむなくという感じだったんでしょうね。
美空ひばりさんに対しては、
ひばりは懸命によき妻を演じようとし、女としては最高だった
と語っておられます。
美空ひばりの心境
美空ひばりさんは記者会見で次のように語っています。
理由をお話したいのですが、それを言ってはお互いに傷つける。
自分が幸せになる道を選びました。
私が芸を捨てきれないことに対する無理解です。
芸を捨て、母を捨てることはできなかった。
ひばりさんも辛かったでしょうね。
一人の男性を愛しきることができなかった後悔もあったと思いますが、自身の成長と共に歩み続けてきた母親も大事だったんですね。
大切な物、どれか一つを切り捨てる苦しい決断だったのだと思います。
入籍していなかった!
小林旭さんと美空ひばりさんですが、実は入籍していなかったんです。
小林さんは入籍を希望していましたが、ひばりさんの母親に不動産の問題を理由に断られ続け、戸籍上では入籍していませんでした。
なので、今でいう”事実婚”という状態だったという事です。
なので、美空ひばりさんは戸籍上は未婚だったんですね。
小林旭と美空ひばりとのあいだに子供はいた?
小林旭さんと美空ひばりさんの間には実際の子供はいませんでした。
美空ひばりさんは自身の実弟の子供を養子として迎え入れ、彼を自分の子供として育てました。
この養子は、加藤和也さんですね。
ひばりさんの実の子供ではなく、弟が亡くなった後に養子縁組が行われたました。
【結婚歴】小林旭最初の妻・美空ひばりとの馴れ初め!結婚生活や子供についても!まとめ!
小林旭さんと美空ひばりさんの結婚は、まさに昭和を象徴する出来事でした。
対談をきっかけに始まった二人の関係は、熱愛報道を経て結婚へ。
しかし、二人の結婚生活は順風満帆ではなく、短い期間で幕を閉じることに。
本記事では、その背景や子供に関するエピソードも含め、スター同士の波乱に満ちた関係を振り返りました。
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